早乙女、社畜辞めるってよ。

年末商戦の最中、社畜は仕事を辞めようとしている。

別にどうということはない。

なんだか突然に、バカな営業の子守に飽きたのだ。

なんとなくやめようかなって思ったことは何回もあったけど、それでも3年どうにか続けていた。たぶんいいタイミングで誰かに助けられたり救われたりしていたのだ。その誰かは決して社内の人間ではなかった。それだけは確かだと思う。

たとえば得意先の人が『また次の店舗もよろしくね』って言ってくれたとか、たとえば下請けさんが『色々あったけど出来上がってよかった』って言ってくれただとか、ぴかぴかの看板が誇らしげにオープンを迎えるだとか。

そういったことがわたしを救っていたのだ。

もう少しがんばろう。って思わせてくれた。

 

物を作る仕事は、決してスマートでも美しくもない。

泥臭くて必死で、謝ったりお願いしたり、時間ばかりを食い潰して、色んな人の手を煩わせて初めて成り立つ仕事なんだと思う。

だけど、仕事の結果がそこにあるのだ。

それだけがわたしの救いだった。

紙の上の絵でしかなかったものを、わたしが、わたしたちが現実にしたのだ。

そう思う瞬間に脳内でアドレナリンとかなんかそういうものがぶわわわって出る気がする。

できあがるというわかりやすい達成感は、何度経験してもいいものだと思う。

わかりやすい成功体験だ。

設計図の通りに作る、というのは実はひどくむずかしい。

そして、なにもないところに線を引くだけの設計という仕事は、本当にむずかしくて楽しい。

この3年でわたしは仕事の楽しさを覚えた。

建物を作るという共通の目的に向かうチームの一員として、ああでもないこうでもないと頭を悩ませる楽しさはなにものにも変えがたい経験だったと思う。

 

 

でもまあ、世の中には同じ方向を向いて仕事が出来る人間ばかりではないわけで。

そういった仕事に対して誠意のない連中と仕事をすることに疲れたわけだ。

まあうちの部署のあいつやそいつやこいつなんだけど。

いつかあいつらのつけた看板が人を殺すかもしれないしね。

てきとうな仕事をする営業の図面の図面枠に自分の名前を書くのが嫌になったんだ。

だってあいつらは何か都合の悪いことが起こった時に私のせいにすることに躊躇いがない。誰かのせいにして、自分はさも被害者のように振る舞うことに対して、なんの引っかかりも覚えないようなクソ野郎共だ。

毎日過酷な現場で仕事をしてくれている職人さんにも、自分ができないところを補ってくれている社内の人間にも敬意を払えず、クライアントにペコペコ頭を下げ、自分は仕事ができると思い込んでいるだけの精神年齢5歳の子守りにはもうウンザリ。

すみませんとか、ありがとうございますとか、言われたこともないし言ってるの聞いたこともない。

わたしだって人間だし、どうしてクライアントや職人さんや工場の人が営業すっ飛ばして私に連絡入れてくるのかよく考えてくれ。

お前は職務上いちばん蔑ろにしてはいけない信用を蔑ろにしてきた。そして私に見限られたのだ。

よく覚えておけ、お前の仕事は私がいなくては回らない。細々した業務も、本来お前が時間を割くべき仕事も、私がこなしていたから回っただけだ。

 

ま、私もそう思われないように次の職場で頑張るとしようかな。