転職した社畜は社畜を辞められたのか?

やあ。早乙女だ。

転職したよ。

 

新築の工事に行き始めたよ。

いままであまり関わりのなかった職種のおじさん達と触れ合っている。

看板屋はしばらく廃業して、いわゆるゼネコンにいる。

みんな仕事にプライドがあって、ちゃんと叱って褒めてくれる。

さすがだねって言われる仕事がしたくて、思いのほか大きい所に拾われた。

 

工期は2年半。

現場常駐で朝礼したり新規教育したり巡回したり、まあそんな毎日。

毎日1時間くらい残業して、上司と一緒に帰ったりする。

駅まで距離があるから、前の仕事の話とか家族のこととか仕事のこととかお話しながら帰るのが、なんか楽しかったりしてる。

前の職場ではそんな事しなかったし、仕事行くのも帰るのも、常に殺気立ってて人殺しみたいな顔で電車に乗ってた。

誰もが敵だったし、隙を見せないようにしなくちゃいけなかったのが嘘みたい。

いい職場なのかはまだ分かんないけど、少なくとも上司や同僚は私の事を気にかけてくれているし、私がすぐにごめんなさいって言ってしまうことに対して「大丈夫」って言ってくれる。

人間関係にすごく疲れていたから、本当にいいのかなって思う反面、これが普通なのかもって思ってみたり。

少なくとも、あの3年間は普通ではなかった、と思う。

 

一人でやる仕事じゃないから、困ったことはちゃんと相談してね。あと帰る時は帰りますって言ってね 。寂しいから。

これは今の上司の言葉。

なんとなく、ここではいい仕事ができる気がする。

支店長に感謝かな。

 

 

 

社畜、転職するってよ。

 

面接へ行った。

3年振りに履歴書と職務経歴書を書いた。

今まで書いた図面も提出した。

秒で内定が出た。

 

と、言うわけで2年半と少し勤めた会社を辞める。

余り未練がなくて、こんなもんか〜と思いながら引き継ぎ用の資料を作ったり、やべえ案件を掴まされたりしている。

最後の最後にやべえ案件を華麗に納めて辞めればカッコイイのかもしれないけど、そんな気力はもはやない。

まあ私がやめたあとも工期あるみたいだしね。

 

とにかく私が自主的に「これだけはきちんと終わらせて辞めたい」と思った物件はほとんど終わった。

久しぶりに重たい鉄を吊り上げたり、レッカーを呼んだりしたから少し心が元気になった。

完工の日がクリスマスだったりしたから、現場の駐車場でシュークリームとエクレアを食べたりした。

一緒にそういうことしてくれる、優しい職人さんで良かったなって。

ちゃんとありがとうも言えたし。

そのあとゴタゴタして別件の夜間工事になったりもしたけど、そこでもすごくお世話になった職人さんにありがとうが言えたからそれでいいと思う。

あとひと月くらいは出社の予定だけど、もう現場に出ていくことはほとんどない。

穏やかに収束を迎えられたらいいなって思ってる。

 

まあそう簡単には行かないのだけども。

ただ、みんな別れ際に言ってくれる

 

「またいつか、どこかの現場で。」

 

建設業にいる限り、またどこかで繋がるのだと信じて。

 

 

 

早乙女、社畜辞めるってよ。

年末商戦の最中、社畜は仕事を辞めようとしている。

別にどうということはない。

なんだか突然に、バカな営業の子守に飽きたのだ。

なんとなくやめようかなって思ったことは何回もあったけど、それでも3年どうにか続けていた。たぶんいいタイミングで誰かに助けられたり救われたりしていたのだ。その誰かは決して社内の人間ではなかった。それだけは確かだと思う。

たとえば得意先の人が『また次の店舗もよろしくね』って言ってくれたとか、たとえば下請けさんが『色々あったけど出来上がってよかった』って言ってくれただとか、ぴかぴかの看板が誇らしげにオープンを迎えるだとか。

そういったことがわたしを救っていたのだ。

もう少しがんばろう。って思わせてくれた。

 

物を作る仕事は、決してスマートでも美しくもない。

泥臭くて必死で、謝ったりお願いしたり、時間ばかりを食い潰して、色んな人の手を煩わせて初めて成り立つ仕事なんだと思う。

だけど、仕事の結果がそこにあるのだ。

それだけがわたしの救いだった。

紙の上の絵でしかなかったものを、わたしが、わたしたちが現実にしたのだ。

そう思う瞬間に脳内でアドレナリンとかなんかそういうものがぶわわわって出る気がする。

できあがるというわかりやすい達成感は、何度経験してもいいものだと思う。

わかりやすい成功体験だ。

設計図の通りに作る、というのは実はひどくむずかしい。

そして、なにもないところに線を引くだけの設計という仕事は、本当にむずかしくて楽しい。

この3年でわたしは仕事の楽しさを覚えた。

建物を作るという共通の目的に向かうチームの一員として、ああでもないこうでもないと頭を悩ませる楽しさはなにものにも変えがたい経験だったと思う。

 

 

でもまあ、世の中には同じ方向を向いて仕事が出来る人間ばかりではないわけで。

そういった仕事に対して誠意のない連中と仕事をすることに疲れたわけだ。

まあうちの部署のあいつやそいつやこいつなんだけど。

いつかあいつらのつけた看板が人を殺すかもしれないしね。

てきとうな仕事をする営業の図面の図面枠に自分の名前を書くのが嫌になったんだ。

だってあいつらは何か都合の悪いことが起こった時に私のせいにすることに躊躇いがない。誰かのせいにして、自分はさも被害者のように振る舞うことに対して、なんの引っかかりも覚えないようなクソ野郎共だ。

毎日過酷な現場で仕事をしてくれている職人さんにも、自分ができないところを補ってくれている社内の人間にも敬意を払えず、クライアントにペコペコ頭を下げ、自分は仕事ができると思い込んでいるだけの精神年齢5歳の子守りにはもうウンザリ。

すみませんとか、ありがとうございますとか、言われたこともないし言ってるの聞いたこともない。

わたしだって人間だし、どうしてクライアントや職人さんや工場の人が営業すっ飛ばして私に連絡入れてくるのかよく考えてくれ。

お前は職務上いちばん蔑ろにしてはいけない信用を蔑ろにしてきた。そして私に見限られたのだ。

よく覚えておけ、お前の仕事は私がいなくては回らない。細々した業務も、本来お前が時間を割くべき仕事も、私がこなしていたから回っただけだ。

 

ま、私もそう思われないように次の職場で頑張るとしようかな。

 

 

ふと感じてしまう嫌悪は悪か

世界、というのはなんでもありなのだなぁ。

そして声が大きいほどその主張は正しいとされる気がしている。

アニマルライツという言葉で畜産を冒涜(適切な言葉が見つからなかった)してはいまいか。

まあ私はごく一般的な社会人で、ペットも飼っていないので何を強いられている訳でもないんだけど。

 

 

これは決して権利を冒涜する趣旨でもなんでもない、わたし個人の感じている気持ち悪さについて正直に書いた文章だと思って欲しい。

そこだけは勘違いしないでほしい。

それらの主張はどちらも正義なのだから。

 

 

わたしのじーさんの話をしよう。

第二次世界大戦のころに獣医を志し、学生でありながら陸軍の馬の世話をしていた人だ。

戦争が終わってから、彼は畜産を始めた。

関西のニュータウン開発が進む片田舎だった。

都心から車で30分ほどの、大きな幹線道路のほど近くで、彼は乳牛を100頭くらい飼っていて、大手の牛乳屋さんに牛乳を売って暮らしていた。

時にはその牛を食肉として売ったりもしていた。産まれたばかりの子牛もいた。

この間まで牛舎にいた子牛がいなくなっているのは子供ながらに切ないものがあった。ドナドナされていく子牛を見送ったこともある。

しかしわたしは「美味しく食べられているといいな」と思ったのだ。

だってその子牛は、食べられるために生まれ、食べられるために死にゆくのだから。

せめて美味しかったと言われていて欲しいではないか。

 

畜産、というのは生業だ。

生業であり、生命の営みだ。

と、わたしは思う。

狩りをし、その獲物を喰らう肉食動物となんら変わらない、食物連鎖の一部に過ぎない。

なかには劣悪な環境で生命を生命とも思わぬやり方で畜産を営む者もいるだろう。

だが、私の知る畜産の世界は、毎日休みなく牛の世話をして、愛情を持った人達ばかりだった。

夜中にお産が始まれば家族総出で子牛を誕生させた。

祖母はいつも朝くらいうちから牛舎にこもり、牛に餌をやり、乳を搾った。祖父は病気の牛の世話をし、狭い敷地でも生業として成り立つ畜産を実現させた。

それは、果たして悪だろうか。

それでも畜産は動物の権利に配慮しない!  と責め立てられるべき産業であろうか。

わたしはそうは思わない。

 

祖父が亡くなったあと、母がわたしに話してくれたことがある。

「あの人は牛が本当に好きだった。牛の目はまるくて、純粋で、とても可愛いだろう。だから俺は牛が好きなんだ。って、いつも言ってた」

これを聞いた時に、これが全てだと思った。

彼が愛した牛を育てることで、彼は彼の娘を育てた。たくさんの孫に囲まれ、玄孫を抱き、愛する妻に看取られて命を終えた。

きっと幸せな人生だったと思う。

だって、孫のわたしがこんなにも彼を恋しく思うのだ。愛に溢れた人だった。

だが、畜産を悪とするならば彼は悪人なのだ。

それでひと時代を築いた極悪人である。

 

システムとしては悪かもしれない。

食べるために産ませ、食べるために育て、食べるために殺すことは悪かもしれない。

しかし、それが生命の営みだと私は思う。

人間だって所詮は動物なのだ。

この大きな地球の中で、食物連鎖のひと角をになう、生命のひとつでしかないのだ。

理性があるから、可哀想だから、そうやって憐れむこと自体が人間の傲慢ではなかろうか。

 

食べられるために殺されたものを、残さず美味しく食べること。

 

それこそが正義だと、わたしは思う。

まあ、これは私の正義なので誰かと議論がしたいわけじゃないよ。

そういう考え方もあるかもしれないって思ってくれればそれで。

 

会社の闇がすさまじい話

 

比較的勤務時間がブラックなことに定評のある我が業界。

まあそれは仕方ないと思うのですね。

たとえばお客様が「お店閉まってる時間に工事して欲しい」と言えば夜間作業になるし、例えば「企業がお休みの日にやってほしい」と言われたら休日出勤になる。

更には「官庁検査が連休前に終わるから、連休明けには屋号を変更しておきたい」なんて言われたら連休を返上して工事をしたりなんてことも何度か経験あったりとか。

わたしは基本的に事務所で仕事をしているオッフィースレディーなので、現場監理なんかも完了連絡関係やら現場で発生したあれやこれやの困り事を調整(電話やメールや手配やで)する感じ。

それでも残業時間は毎月割とヤバいし、月イチは確実に休日出勤だし、連休なんて3連休以上はほぼ取れた試しがない。

どこの看板屋さんもそんな感じなんじゃないかな?って思ってる。

中にはホワイトな看板屋さんもあるかもしれない。

下請けさんには「原則夜勤後は振替休日扱い」「有給消化のために長期でおやすみ」なんてとこも増えてきました。

まあこれはどこの業界にも言えることだと思うけど、大手ほどブラックだと思う。あくまでも個人の所感だけどね。

 

さて、そんな業界で大手と言われる弊社、比較的上長の裁量が大きいので、上司が調整上手な人や上司本人が仕事ができる人は割とホワイトなんじゃないかなと思う。

しかし我が上長はそうではござらんのだな〜。

困ったなぁ〜なんて。

まあもう数年のお付き合いですので、こちらも諦めますけどね。

 

ところでわたし、一応設計に配属されているんです。

バリバリに図面を書いたりなどしている。

現場育ち積算製図製作なんでもござれなので、割と重宝される。

ちょっとした現場作業なら1人で行くよ。

まあ設計なのでね、本職は図面を書くことなんだけど。あとは製作手配とか発注とか。

とまあそんな感じなので別部署と二足のわらじしたりしてるわけ。

そっちで担当してるクライアントが最近調子がいい。

売上が徐々に伸びてる期待のルーキー。

だから、業務が追いつかなくなってきてるけど、そもそも人手不足で駆り出されているわけなので外れるわけにもいかない。

しかし設計の担当クライアントも新築フィーバー2020。

さあ、どこかで調整を取ってくれよ〜!!

という期待を込めて「ちょっと業務多すぎてしんどい」って言ったらめちゃめちゃにこじれている。

なんと業務過多の人手不足企業、まさかの社内で人材を奪い合う。の巻。

いやはや、本社異動?支社勤務継続?いやいや支社の設計の柱をいくら本社とは言え本社にやる訳には!本社だってそこまで手広くできる子すぐに用意できないわよ!

そんな醜い争いが上層部で繰り広げられているらしい。

 

早乙女の運命や如何に……

 

どっちでもいいから、とりあえず手元にある物件、いくつか引き取ってくんね〜〜〜〜かなァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

 

 

手始めにわたしの話


普段はいつもTwitterで遊んでいるけど、たまには長文で思ったことを書き残しておきたいよなぁ。

そう思ってとうとう始めた。

別に誰かに読んでもらいたい、というわけではない。

自分であとから読み返して、なんて頭が悪いんだ!ってするための記録。

だけど誰かが間違えて読むかもしれないし、ざっくり自己紹介を書いたから、そっちを読んでから読んでくれ。


建設業とは言っても幅広い。

土工事、基礎工事、鉄骨、足場、設備、建具、仕上げ。

色々あるけどわたしは雑工事の女だ。

屋外広告業、つまり看板屋だ。

最近はオシャレにサイン工なんて言うらしい。

大昔も言っていたけど。

なにせ実家が看板屋で、三人姉妹の長女なのだ。

別の職を目指したこともあったけど、ひねくれた人生負け組なので、ここに落ち着いた。

まあそこそこ幸せ。

社畜なことを除けば。



長女だからと言って親の会社で働いているわけではないのだけど。

家族経営はいろいろと面倒なのだ。

家に社長がいる生活、なんて普通は嫌だと思う。普通は。



そういうわけで、実家ではない別の看板屋で働いている。

業界の中では大手だと思う。たぶん。

チェーン店の看板を元請けで請負ったりしている会社。

誰もが見たことのある看板を作っている。

たまにはゼネコンの下請けとして作業着と安全靴でラジオ体操をしたりもする。

枚朝満員電車でオフィスに出勤もするし、OLみたいな格好で御社に打ち合わせにもいく。

本当は橋がつくりたかったんだけど。

そう言いながら看板を作っている。



しかしメチャメチャオタクだ。

Twitter構文は完璧だし、月末はだいたいデータ容量足りなくなるし、自宅にはWiFi完備。

パソコンは2台持ちだし、スマホタブレットでソシャゲをまわす。

コミケにも行くし、BLも嗜む。

商業だって二次創作だって読む。なんなら書く。

漫画もアニメも好きだし、最近は2.5次元のお席がご用意されるかで、当落発表の日はうわの空だ。

口ではご安全に〜なんて言いながら、お前が安全に気をつけた方がいいレベル。


ただまあ、それくらいしかアイデンティティのない女だと思ってくれ。

社畜とオタクと、あと酒は毎晩飲むので酒クズ。

それがわたしを構成する全てだ。



かわいそうな社畜!!